|
前回の復習(仏教の本末(1)「無明業障の病」)
仏教がよく分かる例え話があります。
「病で苦しむ人がいた。見るに見かねて何とか助けてやろうと医師が現れた。医者は病気を治すために薬を作る。病人が薬をのんだところ、病が全快した。救われた人は、医師に何度もお礼を言わずにおれなくなった」
この例えが何を表しているか分かれば、仏教はすべて分かります。今回は、病を治してくださる医師、阿弥陀仏について解説します。
|
|
Q.阿弥陀仏とはどんな仏さまですか?
A.仏教では、私たちは例外なく、「無明業障の恐ろしき病」にかかっている魂の病人と教えられます。どんなに金や物に恵まれても、心からの安心・満足がないのはこの病のためです。
その無明業障の病を治してくださる名医が、本師本仏の阿弥陀如来であり、大医王とたたえられます。
大宇宙には数え切れないほどの仏がいらっしゃいますが、それら十方諸仏が皆、異口同音に先生と尊敬するのが阿弥陀仏です。だから釈迦も一切経の中で、「諸仏の中の王なり」とか、「最尊第一」の阿弥陀如来とか、言葉を尽くして称賛されているのです。

|
|
Q.阿弥陀仏にはどんなお徳がありますか?
A.本師本仏の阿弥陀仏には、いろいろの偉大なお徳(力)がありますが、まとめると光明無量、寿命無量の二つになります。
光明とは、目に見えない仏さまのお力のことです。釈尊は、
「無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり」(大無量寿経)と絶賛され、どんな罪悪深重の者をも助ける、ほかの仏の遠く及ばぬすごい力だとおっしゃっています。しかも、その絶大な光明は、線香花火のように瞬時に消えうせるのでなく、無量寿(量りなき寿命)に維持され、私たちを永遠の幸福に救い切ってくださるのです。
|
|
Q.阿弥陀仏以外の仏では助からないのですか?
A.「十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、空しく皆十方・三世の諸仏の悲願に洩れて、捨て果てられたる我等如きの凡夫なり」(御文章)とあるように、諸仏方も、何とか救ってやりたいの慈悲心を起こされたのですが、私たちの罪があまりに重く、見捨ててしまわれたのです。そんなあらゆる仏に見放された極悪人だからこそ、なおさら捨ててはおけぬと、ただ一仏、「必ず助ける」と誓われたのが阿弥陀仏です。だからこそ釈尊は、仏教の結論として、「一向専念無量寿仏」(大無量寿経)“弥陀一仏に向かい、信じなさい”
と、何度もお勧めになっているのです。
|
|
Q.阿弥陀仏のお姿は、なぜ立っていらっしゃるのですか?
A.多くの仏は座像ですが、阿弥陀仏は立っておられます。このお姿を、立撮即行といいます。苦悩の衆生を座視できず、お立ちづめで力尽くされている、やるせない大慈悲心を表されています。
動くことさえできぬ重病患者は、往診の医者でなければ救えぬように、罪悪深重の私たちは、自ら衆生に近づき、救ってくだされる大医王・阿弥陀仏でなければ毛頭救われません。右手をあげておられるのは、“そのまま来いよ”の召喚(光明無量)を表し、左手を下げておられるのは“堕としはせぬぞ”の摂取(寿命無量)を表しています。

|
|
Q.阿弥陀仏の五劫思惟とはどんなこと?
A.どうすればすべての人の心の難病を治すことができるか、阿弥陀仏は五劫という長期間、考えられました。これを「五劫の思惟」といいます。
一劫とは、「四十里四方の大盤石を天人が百年に一度、羽衣で触れて磨し、これによって消滅しても、なお尽きないほどの長期間」と教えられています。
五劫の間、病を徹底研究され、「このように治療しよう」と作られた処方箋に当たるのが弥陀の本願です。その処方箋に基づき、兆載永劫のご苦労の末、弥陀は、「南無阿弥陀仏」の六字の名号という薬を完成なされたのです。
|
| 浄土真宗入門の一覧に戻る |
次:仏教の本末(3)「六字の名号」 |