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仏教入門
自殺を止めるには?仏教の生命観が、子供を救う 自殺サイト・自殺掲示板予防

<前編>

 近年、子供たちの人命軽視の事件が後を絶ちません。文部科学省では、
「これまでも『命を大切にする教育』の重要性が言われてきたが、十分な成果を挙げていない」
との反省に立ち、改めて家庭、学校、社会のすべての大人たちが、次世代の子供たちに「命を大切にする教育」を、実効あるものとしていく必要があると訴えています。しかし、
「人が死ぬとは、どんなことなのか」
「なぜ命は、かけがえがないのか」
正しい生命の実相を知らなければ、大人も子供も救われません。
仏教を説かれたお釈迦さまから、お聞きしましょう。




  ●10歳・女子・富山県
「命の重さは同じだよ」
それを聞いて私は生きるのが悲しくてつらくなってしまいました。
(毎日、小さな命を奪ったり、たくさんの肉を食べていたからです)
「悲しくてもつらくても、生きることは素晴らしいよ」
その理由が分かった時から、生きるのがとてもうれしくなりました。
  ●22歳・女性・東京都
人間は、環境を破壊し、多くの動物の命を奪う罪深い、意味のない存在だと思っていました。しかし、仏教を知り、今では、そのような考えは大きく変わっています。人間に生まれたからこそ、尊い目的が果たせるのだと知らされました。だから人命は尊いと。
  ●7歳・男子・岐阜県
いじめにあっていたクラスの友達が、「死んだほうがマシだ」と言いました。ぼくは、「そんなこと言ったらアカン、生きてる目的があるんだから死んだらアカン」と答えることができました。それからは、「死にたい」とは言わなくなりました。

 長崎で、十二歳(中学生)の少年が、四歳の男の子をビルの屋上から突き落とし、殺害した事件は、昨年七月のこと。子供たちによる、相次ぐ人命軽視の事件を受け、全国の学校では「命の大切さ」を繰り返し訴えてきたといいます。

 ところが、そのさなか、またしても、長崎佐世保にて、小学六年生の女子による同級生殺害事件が起きました。

 命の大切さを、日ごろから教えてきたことは無意味だった。肩を落とす校長先生の姿が、現代の闇を一層浮き彫りにしました。

“これまでの取り組みでは不十分”との反省に立ち、文部科学省は八月末、新たな対策として、「児童生徒の問題行動対策重点プログラム」を公表しています。

 その中で文科省は、
「自他の生命のかけがえのなさ、誕生の喜び、死の重さ、生きることの尊さなどを積極的に取り上げる場や機会を増やす」
とうたい、これまで子供たちに恐怖感を与えるとして、意図的に避けてきた「死の問題」を、積極的に授業で扱うことを提唱したのです。NHKの人気番組「クローズアップ現代」は、全国に先駆け、「死」の教育を始めた長崎県のある小学校を取り上げ、反響を呼びました。

 番組中、教師たちは、
“死をタブー視することが、かえって正しい「死」の認識を妨げ、「生」を軽んずる結果にもつながっているかもしれない”
と、考え始めています。


 ●「死んでも、また戻ってこれる」   ――子供たちの死生観

 

「生死一如」という、有名な仏教の言葉があります。生と死は、紙の裏表。切り離すことはできない。言い換えれば、死を考えることを避けては、本当の生を送ることはできない、ということです。

 命の大切さを知るのは、死の厳粛さに目を向け、正しく知ることから始まります。
 ところが先のNHKの番組では、
「死のイメージ」を尋ねられた子供たちは、次のように答えています。
「死んだほうが、苦しみをずっと味わわないで楽になれる」
「魂が別の体に移って、一からもう一度やり直せると思う」

 続いて、
「人間、死んだら生き返るか」の問いに、三十三人中、実に二十八人の子供が手を挙げているのです。
「死んでも、また生き返り、やり直せる」
 マンガやテレビの影響か、子供たちが、こんな死生観を持っていることに、驚かずにおれません。

 しかし、それでは大人たちは、死を正しく知っているといえるでしょうか。
 子供たちの発言に危機感を抱いた教師たちも、肝心の「死ねばどうなるか」については、全く触れてはいません。正直、分からないからでしょう。
 これでは、子供たちの誤った死生観を、だれが正せましょうか。子供たちが間違うのは私たち大人の責任なのです。

 東大名誉教授の養老孟司氏が発刊した『死の壁』は、いろいろな意味で話題になりました。
“タイトルに「死」と入れば売れない”という、出版界の常識を覆したのは、多くの人が、死に関心を持っている証でしょう。

 しかし、多くの読者が期待した同書の“最終解答”は、
「死について考えるといっても、自分の死について延々と悩んでも仕方が無いのです。そんなのは考えても答えがあるものではない」
「死んだらどうなるのかは、死んでいないから分かりません。誰もがそうでしょう」
だったのです。これでは肩透かしもいいところ。

 養老氏だけではありません。
 死にゆくたくさんの患者と接し、その臨床記録をまとめた『死ぬ瞬間』という世界的ベストセラーを書いたキューブラー・ロス女史も、自らの死に臨んで、
“あなたは長い間精神分析を受けたので、それが役立っているだろう”という、インタビュアーの問いに、「精神分析は時間と金の無駄であった」と答えています。他人の死をどれだけ研究しても、精神分析を受けても、いざ自分が死ぬとなると、何の役にも立たなかったと告白しているのです。

 有名な無神論哲学者・ショーペンハウエルは、臨終の苦悩に責められ、「おお神よ、わが神よ」と幾度も叫んだ。彼は平生、死後の世界を否定していたので、「あなたの哲学にも、神があるのですか」と医者に問われて、「死に向かっては、哲学も神がいなくては仕方がない。もし病が治ったら、今までとは余程違った研究ができるであろう」と告白しています。

 世界的文学者ゲーテも死ぬ数分前に、「ああ暗い。光がほしい。光がほしい」と言い、平生「則天去私」を追究した文豪・夏目漱石が最期に、「ああ苦しい。今死んでは困る」と、つぶやいたのは有名です。

 臨終に際しては、どんな哲学者も文豪も、平生の信念を覆され、未知の後生に恐れ、泣いている。
「我未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」
 かの孔子でさえ、あきらめてサジを投げています。これでは、子供の幼稚な死生観をしかることはできません。

 どこにも明答が聞けぬ中、二千六百年前に、この生命の実相を明らかにされたのが、仏教を説かれたお釈迦さまなのです。
 お聞きしましょう。

 




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