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仏教入門
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「善因善果」とは、善い原因は善い結果、「悪因悪果」とは、悪い原因は悪い結果を引き起こす、ということです。 次に「自因自果」とは、自分のまいた種は、自分が刈り取らなければならない、ということです。
ここでお釈迦さまが「因」と説かれているのは「行為」のことであり、「結果」とは「運命」のことです。 善いのも悪いのも、自分の運命のすべては、自分のまいた種が生み出したものですよ、と仏教では教えられています。 |
| 他因自果は本当にないか? |
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世の中には一見すると、自因自果とは思えないことがあるのも事実です。 しかし、まかぬ種は生えません。奥さんの受ける結果のすべては、奥さん自身のまいた種に間違いはないのです。なぜそういえるのでしょうか。 それは、この奥さんが、この男と結婚したからでしょう。結婚さえしなければ、今の苦しみはなかったはず。適齢期の男性は星の数ほどあったのに、どうして、よりによってその男性を夫に選んだのでしょうか。選んだのは奥さん自身のまいた種に違いありませんから、自因自果なのです。 では、夫は悪くないのか、無関係か、と疑問が起きるでしょう。これは仏教では縁といわれます。 |
| 縁がなければ、結果は表れない |
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因果の道理は、正確には因縁果の道理といいます。まかぬ種は生えませんが、因だけではまた、結果を生じないのです。 米はモミ種から作られますから、米の因はモミ種です。 これを因縁果の道理といい、因果の道理は縁を因に含んだいい方であることが分かります。
では、どうして行いが運命を生み出すのでしょうか。 行為のことを、仏教では業といいます。私たちのやった行為は、業力という目に見えない力となって残り、決してなくなりません。 アラヤとは昔のインドの言葉で蔵のこと。
その阿頼耶識は”暴流のごとし“と教えられます。暴流とは激しい流れのことで、滝のようなものです。 |
| 身口意の三業 |
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![]() 心で思ったことを、体で行い、口で言う。心はあらゆる行為のもとだからです。
こんな歌があります。 同じように、業力も目には見えませんが、縁が来れば確実に、善因には善果、悪因には悪果、おのおのの結果を開きます。 お釈迦さまは、”業力は大象百頭に勝る“と教えられています。何ものをもってしても止められぬ強い力なのです。 |
| ●縄を恨む泥棒 |
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ところが私たちは、幸せな運命がやってきた時には、善因善果、自因自果と認められますが、悪い運命がやってきた時には、自分の過去の行いの結果だとは、なかなか思えません。あいつが悪い、こいつのせいだと、他人のせいにしてはいないでしょうか。 「縄を恨む泥棒」 しかし、この泥棒を笑える人がいるでしょうか。 「火の車 造る大工は なけれども
また、「正直者は馬鹿を見る」で、善いことをしてもひどい目に遭ったり、悪いことをしても見つからず、甘い汁を吸っている人もあるのでは。 釈尊はこのような疑問に、「まいた種は必ず生えるが、生えてくる時期には、前後があるのだ」と教えられています。これを順現業、順次業、順後業といいます。
原因は厳しく結果を開く。他人が見ているとか、いないとかは、因果の鉄則に関係ありませんから、善いことをして損をすることもなければ、悪いことをして得をすることも、絶対にありえないのです。 歴然として私がない、この因果の大道理を信じれば、悪を恐れ、善を求める気持ちが強くなります。 (終) |
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