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浄土真宗入門
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朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり
切々たる無常観「白骨の御文章」


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(2)我や先、人や先

アッという間の一生

 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。

 これからの五十年といえば長いような気がしますが、過ぎ去った五十年はアッという間でしょう。五十年生きた、百年生きた、と言っても、大宇宙の歴史から見れば、アッという間です。


我や先、人や先

 我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず

 生まれたからには、いつか死なねばならないと、頭では分かっています。しかし「明日、自分が死ぬ」と思えるでしょうか。まさか今日や明日には死なないだろう、と安心しています。

 しかし「明日死なないと思う心」は、「永久に死なないと思う心」です。明日も生きていられると思う心は、翌日になれば、また明日も生きていると思います。次の日には、また明日も死なないだろう、と思うのですから、腹底では、永久に死なないと思っているのです。それが本心です。

「鳥辺山
 昨日の煙 今日もたつ
 眺めて通る
 人も何時まで」

 鳥辺山とは、今日でいう火葬場です。その前を通る人が、いやあ昨日も煙が立っていたが、また煙が立っている。今日も人が死んだのか、と眺めています。しかし、いつまで眺めていられるのか。自分が焼かれて、他の人がその煙を眺める時が、必ず来るのです。

 死ぬのは「人や先、人や先」と思っていないでしょうか。よく考えている人でも、「人や先、我や先」まででしょう。まず他人が死んで、それから自分が死ぬと思っているのです。しかし「我や先」ですよ、と蓮如上人は教えられています。自分が先に死んで、その次に他人が死ぬのです。
 ごまかしを破って、徹底的に真実を明らかにしなければ、後生の一大事は分かりません。


釈迦唯一の悩み

 おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。

 お釈迦さまに、ある時お弟子が尋ねました。
「お釈迦さまは仏のさとりを開かれていますから、悩みはないのでございましょう」

 するとお釈迦さまは、「私にはたった一つだけ、悩みがある」とおっしゃいました。どんな悩みか重ねて尋ねると、
「私の心には、雨が降るように、バタバタバタバタと人間が地獄に堕ちる様が映れるのだ。それを思うと悲しい。これだけが、私の唯一の悩みだ」と答えられました。

 世界の年間死亡数は、八千万とも九千万ともいわれます。今日一日だけで、何万の死者が出ているかわかりません。時計の針がカッチンという間にバタバタと数人が死に、カッチンという間にまた数人死に、そこにいつか自分も入るのです。


朝に紅顔、夕に白骨

 されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。

 主人が家を出る時は「行って来るぞ」と言います。「行って、帰って来るぞ」と言っているのです。「だからご飯を用意しておけよ、風呂もわかしておけよ」という意味も、含まれているのかもしれません。しかし、行ったきりで、帰って来れない。そんなことが、新聞やテレビで毎日報道されています。

 東京で女子短大生が、日中に路上で男に刺し殺されました。電車も安心して乗れません。「少し奧へ詰めてくれないかな」と言っただけで、二十六歳の男性が殴殺されています。大阪では小学校に包丁を持った男が乱入し、八人の児童が犠牲になりました。

 朝、家を出るときは、元気な紅い顔をしていたのに、夕方には変わり果てた姿になってしまうのです。


白骨の御文章(3)
「一息一息に生死が触れあう」
へつづく

浄土真宗が分かる月刊誌 『とどろき』より


仏教入門の一覧
未来の運命を決めるものは何か 釈迦の明答 教行信証に響きわたる生命の大歓喜 釈迦の説かれた人間の実相 蓮如上人と白骨の御文章
 
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