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浄土真宗が分かる月刊誌 『とどろき』より

朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり
蓮如上人と白骨の御文章


(1)人生は「浮生なる相」

蓮如上人れんにょしょうにんと『白骨の御文章ごぶんしょう』−

 親鸞聖人のみ教え(浄土真宗)を、正確に、全国津々浦々にまで弘められた蓮如上人(1415-1499)は、「浄土真宗中興の祖」と仰がれています。数多く書き残されたお手紙から、八十通が編纂された『御文章』の中でも有名な「白骨の章」(五帖目十六通)は、上人七十五歳の時に書かれました。

 当時、山科本願寺やましなほんがんじの近くに青木民部みんぶという下級武士がいました。十七歳の娘と、身分の高い武家との間に縁談が調ったので、民部は、喜んで先祖伝来の武具を売り払い、嫁入り道具を揃えたのです。ところが、いよいよ挙式という日に、娘が急病で亡くなってしまいます。火葬の後、白骨を納めて帰った民部は、「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か」と悲嘆にくれ、五十一歳で急逝。度重なる無常に、民部の妻も翌日、三十七歳で愁い死にしてしまいました。

 その二日後、山科本願寺の聖地を財施した海老名五郎左衛門えびなごろうざえもんの十七歳になる娘もまた、急病で亡くなりました。葬儀の後、山科本願寺へ参詣した五郎左衛門は、蓮如上人に、無常についてご勧化をお願いします。すでに青木家の悲劇を聞いておられた上人は、願いを聞き入れられ、「白骨の御文章」を著されたのです。


白骨の章

 それ、人間の浮生ふしょうなるすがたをつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終しちゅうじゅう、幻の如くなる一期なり。
 されば未だ万歳まんざい人身じんしんを受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫もとのしずく末の露すえのつゆよりも繁しといえり。
 されば、あしたには紅顔こうがんありて、ゆうべには白骨はっこつとなれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわちふたつの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属ろくしん・けんぞく集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生ごしょうの一大事を心にかけて、阿弥陀仏あみだぶつを深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。

(御文章五帖目十六通)


 蓮如上人の「白骨の御文章」は、名文として知られています。浄土真宗の葬式・法事では必ず拝読されますから、聞いたことのある人も多いでしょう。
 このお手紙には、「後生の一大事」が教えられています。仏教は後生の一大事を知り、その解決をすること一つを教えたものです。それはそのまま、人生の目的は、後生の一大事を知り、解決することだ、ということでもあります。


人生は浮生なる相

 蓮如上人は冒頭で、人間の生きざまを「浮生なる相」とおっしゃっています。

 それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。

 私たちは、何かを信じなければ生きてはゆけません。一番信じているのは、命でしょう。明日も生きていると、信じています。それどころか、一ヵ月後も、一年後もあると思い、十年後の計画まで立てているのではないでしょうか。

 夫は妻を信じ、妻は夫を信じる。親は子供を命にして、この子さえいれば老人ホームに入れられることはないだろう、面倒見てくれるだろう、と信じています。

 また、世の中金だ、金があれば何でもできると、お金を力にする。「地獄の沙汰も金次第」という言葉もあるくらいです。「不幸のほとんどは金で解決できる」と、菊池寛(近代の作家)は言いました。だからお金のためなら何でもします。どんなに恥ずかしいことでも、どんなに恐ろしいことでもするのです。

 これだけ土地があるから、めったなことはなかろう。不動産があるから大丈夫だ。そんな人は、財産を頼りにしています。「私は社長だ」「ノーベル賞をもらった」と、地位や名誉を信じている人もいるでしょう。

 問題は、信じていたものに裏切られた時、私たちは地獄に堕ちる、苦しまねばならない、ということです。あてにし、力にしていたものに捨てられた時、人間は不幸のどん底に落とされます。病気の人は、健康に裏切られたのです。それまで病気一つしなかった人が、突然病で苦しむこともあります。夫を亡くして悲嘆している人は、信じていた夫に裏切られたために、苦しんでいるのです。かつての大統領が、日本に亡命して、自分の国に戻れなくなった人もいます。

 私たちは何かを信じなければ生きてゆけませんが、信じていたものに裏切られた時、不幸になるのです。

 仏教では、人間は海に浮いているようなものだとたとえられています。近くに漂う丸太や板切れは、健康や妻、子供、お金、地位や名誉です。丸太にすがった時は、やれやれと思う。しかしそれらは浮いたものですから、やがてクリーッと回って、私たちを裏切ります。潮水のんで苦しまねばなりません。

「どうしても欲しい」と望んでいたものを手に入れても、その喜びは一時的です。受験生は大学に合格した時は、「やったぁ」と思うでしょう。胴上げされている時は夢見心地ですが、その感動が一ヵ月と続いたでしょうか。こんなもののために、一生懸命ねじり鉢巻きで勉強していたのか。バカバカしい。そんな心さえ出てきます。

 そこで今度はまた別の丸太を求めて、苦しむのです。どこまでいっても苦しみ続けて、死んでゆく。そんな姿を、蓮如上人は「浮生なる相」とおっしゃっています。


冥土に向かう旅人


 禅僧・一休は
「世の中の
 娘が嫁と 花咲いて
 嬶としぼんで
 婆と散りゆく」

と言いました。娘が嫁と花咲いて、お母さんからお婆さんになってゆく。いつまでも娘でいたいと思っても、止まることはできません。男性は呼び方が変わるだけで、すべての人は、抵抗できない力でこのコースを進みます。

 一休はまた、
「門松は
 冥土の旅の 一里塚
 めでたくもあり
 めでたくもなし」

とも詠っています。「冥土」とは、死んだ後の世界、後生のこと。「冥土の旅」といわれているように、人生は旅であり、私たちは冥土に向かっている旅人≠ナす。

 年が明けたならば、一年分、冥土に近づいたのです。死後がハッキリしている人、明るい世界に行ける人にとっては、めでたいことでしょう。しかし死後が暗い世界の人、苦しまねばならない人は、めでたくありません。元旦がめでたいか、めでたくないかは、死んだ後が明るいか暗いかで、分かれるのです。

 旅人にとって最も大事なのは、行く先でしょう。どんなものを食べるか、どんな服を着るかより、もっと大事なのは目的地です。行く先がハッキリしていなかったら、歩く意味がありません。

 歩けば歩くほど苦しいように、生きれば生きるほど、苦しみも多くやってきます。目的なしに生きていたら、苦しむために生きていることになってしまうでしょう。意味も目的もなく、最後死ぬために生きるのが人生ならば、なぜ人命は地球よりも重いと言われるのでしょうか。

 目的のない人生は儚かったと、豊臣秀吉は言い残しています。農家に生まれ野原に寝転がっていた日吉丸が、太閤まで上りつめ、大阪城から天下を睥睨するようになりました。しかし辞世の歌は、次のようなものです。
「おごらざる者もまた 久しからず
 露とおち
露と消えにし 我が身かな
難波のことも
夢のまた夢」

 夢の中で夢を見ているような、儚い人生だった。あれだけのことをやった秀吉でしたが、人生の目的がわからずに生きる人生は儚かったと、臨終に知らされたのです。

 蓮如上人は、目的のない人生は儚くないですか、目的なしに生きる人間の儚さを知りなさいよ≠ニまず教えられています。

白骨の御文章(2)
「我や先、人や先」へつづく

 



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