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蓮如上人は冒頭で、人間の生きざまを「浮生なる相」とおっしゃっています。
| それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。 |
私たちは、何かを信じなければ生きてはゆけません。一番信じているのは、命でしょう。明日も生きていると、信じています。それどころか、一ヵ月後も、一年後もあると思い、十年後の計画まで立てているのではないでしょうか。
夫は妻を信じ、妻は夫を信じる。親は子供を命にして、この子さえいれば老人ホームに入れられることはないだろう、面倒見てくれるだろう、と信じています。
また、世の中金だ、金があれば何でもできると、お金を力にする。「地獄の沙汰も金次第」という言葉もあるくらいです。「不幸のほとんどは金で解決できる」と、菊池寛(近代の作家)は言いました。だからお金のためなら何でもします。どんなに恥ずかしいことでも、どんなに恐ろしいことでもするのです。
これだけ土地があるから、めったなことはなかろう。不動産があるから大丈夫だ。そんな人は、財産を頼りにしています。「私は社長だ」「ノーベル賞をもらった」と、地位や名誉を信じている人もいるでしょう。
問題は、信じていたものに裏切られた時、私たちは地獄に堕ちる、苦しまねばならない、ということです。あてにし、力にしていたものに捨てられた時、人間は不幸のどん底に落とされます。病気の人は、健康に裏切られたのです。それまで病気一つしなかった人が、突然病で苦しむこともあります。夫を亡くして悲嘆している人は、信じていた夫に裏切られたために、苦しんでいるのです。かつての大統領が、日本に亡命して、自分の国に戻れなくなった人もいます。
私たちは何かを信じなければ生きてゆけませんが、信じていたものに裏切られた時、不幸になるのです。
仏教では、人間は海に浮いているようなものだとたとえられています。近くに漂う丸太や板切れは、健康や妻、子供、お金、地位や名誉です。丸太にすがった時は、やれやれと思う。しかしそれらは浮いたものですから、やがてクリーッと回って、私たちを裏切ります。潮水のんで苦しまねばなりません。
「どうしても欲しい」と望んでいたものを手に入れても、その喜びは一時的です。受験生は大学に合格した時は、「やったぁ」と思うでしょう。胴上げされている時は夢見心地ですが、その感動が一ヵ月と続いたでしょうか。こんなもののために、一生懸命ねじり鉢巻きで勉強していたのか。バカバカしい。そんな心さえ出てきます。
そこで今度はまた別の丸太を求めて、苦しむのです。どこまでいっても苦しみ続けて、死んでゆく。そんな姿を、蓮如上人は「浮生なる相」とおっしゃっています。
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