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9歳の春、親鸞聖人(松若丸)は出家得度の意を固められ、叔父・範綱卿に手を引かれ、 京都・東山の青蓮院を訪ねられました。青蓮院は比叡山の座主を務める慈鎮和尚の寺でした。
親鸞聖人は、
「次は、私が死んでいかなければならないと思うと、不安なんです。何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです」
と、出家得度を願われました。
慈鎮和尚は、
「わずか9歳で出家を志すとは尊いことじゃ」
と驚き、
「明日、得度の式をあげよう」
と言いました。
付き添いの範綱卿に、異存のあるはずがありません。
しかし、聖人は、紙と筆を持たれて、
「明日ありと
思う心の あだ桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは」
と一首の歌を記されました。
「おお……」受け取った慈鎮和尚は、背を寒くしたように、その歌に打たれました。
「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は桜の花よりもはかなきものと聞いております。明日といわず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」
「そこまでそなたは、無常を感じておられるのか……。分かった。じゃあ早速、得度の式をあげよう」
かくて、その夜のうちに得度の式を終え、聖人の髪はきれいに剃り落とされました。それは同時に、天台宗比叡山での、20年間に及ぶ、血のにじむご修行のスタートでもあったのです。
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